2021/10/2-3 栗駒山麝香熊沢 秋の匂いを聞く

山行報告

匂いを求めて

 またこの季節がやってきた。

 山をやっていると、意識しなくとも四季に敏感になる。それは岩の渇き具合や、天気の見方と山のアクティビティに直結するものなので、街にいる時に比べより身近なものになっている。都会の喧騒を離れ山に居座っていると、その美しさや有難みを一瞬忘れそうになるが、いざ下山すると、自然に魅了されている自分に気づく。さしあたり生活の一部となっている山だが、いつまでこの自然がそのままの状態で保たれるかは分からない。共存するには、そしてあの静謐な匂いを伝えるにはどうするべきか。まだ若い部類に入る20代と、この自然の魅力について語り、引き出していこう。

 

 

 「どの季節が好きですか?ってわたしがよく相手を知りたい時、この質問をします。答えられた季節もそうですが、その人がどうしてその季節が好きなのかを知ると、その人のことをすごく分かった様な気持ちになるんです。」

   

 感動したものは何かに例えたくなる。その色や空気は、凛とした男の人の様で、しなやかな女性の様だ。と、この季節を男だとか女だとかで表してみるが、しっくりとこない。この季節は何らかの形-性別-などで区切るものではなく、掛け合わせや合わせ技など、2つ以上のものが混ざり合ってできているようだ。だとすると、これは「両性」だ。性が、体もしくは心からくるものかの議論はさて置いて、中性は、1本の線の両端に相反する意味があり、その真ん中付近をとった部分を言い表すが、両性は両極端双方の性質を併せ持つようなものである。

 

 「秋の山ではいろんな色を見ることができますが、その色が溶けて混ざり合うというより、存在し合っているマーブル模様みたいです。マーブルは直訳すると大理石ですが、それとは別に、遊びに使うおはじきの意味もあるんですよ。もしこの秋の色で遊べるとしたら、とても贅沢でしょうね。」

注がれる流れ

 山と水は密接に関係している。山肌が雨を染み込ませ、わたしたちの生活する場所に届けるためのろ過装置の役目もなしている。水はインフラに関わるだけでなく、湿原にある池塘はアートであるし、渓流での釣りを求めればそれは恰好の娯楽となる。

 「川や水場を目にするととても安心します。それは多分、生命として水が絶たれないことに対する安堵っていうのも勿論あると思いますが、水面に映る雲とか、ただ流れの音を聞いているだけでも、仕事の合間に飲むコーヒーの何倍もホッとします。」

 水滴が色づいた葉の上で転がり、無色ではなくその葉の色に近づく。動かない水の塊は、重力と表面張力と摩擦力なんかとつりあった状態で均衡を保つ。それは自然の摂理であって、それはこの世界(社会)に似ている。ある一見微弱な力、風なんかでもゆっくりと転がり始めるその様子は地球が自転し、さらに太陽の周りを公転していることも思い出させる。

 

 

 

ザックの中には?

 小さい子の手を引くおとな、家族団欒ご一行。彼女の分の荷物を持つ彼は、少しおめかしもして山デート気分。

 「わたしの山仲間は寡黙な人が多いんです。ただ寡黙ってだけじゃなくて、負けず嫌いも多い。喋っている暇があったら誰よりも早く進みたい質なんですかね。わたしは荷物が重たいとどうにもそんな気力起きなくって・・・。だいたいどの山でも、すれ違う人達よりも自分たちのザックは大きいですね。雨蓋が後頭部に嫌というほど当たって邪魔くさい。背負うときは自ら迎えに行ってあげないと、とてもじゃないですが持ち上げることのできないくらい重い時もあります。周りの軽快な足取りとは裏腹で、重たい一歩をなんとか踏み出していると、ふと、何のためにこんな重いものを、って怒りすら感じる時もありますね。」

 健脚仲間に追いつくためには、やっぱり寡黙に足を動かす。口は呼吸のみでも、頭は色んな思考がぐるぐると回る。今日のティータイムのお供は何にしようかなんか頭をよぎるが、肩にのしかかる重みで今にもくじけそう。沢を登らずに登山道を巡ってくれば・・・、最短距離で往復し日を跨がず下山すれば・・・、げんなりする矛先をザックに向け、入っているその重さの正体を突き止めるため推理する。
 わたしがパッキングしたものは、登攀具やキャンプ道具、ギアという名のロマンだ。

 

 

 

山と海

 「1年中山に行きますよ。濡れても気にならない時期はもっぱら沢ですし、川が凍ればアイス登攀もします。時期が微妙な時こそ、どこに出向くか考えどころで、計画を立てるだけでも結構楽しいです。転進用に、使わないだろうっていうギアをやたらと持っていくのも好きですね。」

 氷滝を登攀すると、クラゲに似た形の氷に出くわすことがあるが、この季節、空という海に浮かぶのは鮮やかなサンゴの山。この海をひとたび泳げばナナカマドの匂いに乗ってそこを横断することができる。きのこには確か、カエンタケとかサンコタケ、ホウキタケなどといったサンゴの様な形の種類のものがある。長いもので数日、短いもので1日の寿命であるキノコたちが、このナナカマドやらで成り立っている秋の景色を、一定期間において保つようなまねは到底できないだろう。彼ら(子実体)自身は風に運ばれたりして、宙に浮かぶことすらままならない。(とはいうものの、わたしは無類のきのこ好きである。)

 

「彼女と山なう」に使っていいよ Ver01
「彼女と山なう」に使っていいよ Ver02

   

Letter of LOVE

 気になるあの子に想いを綴る。朝日を獲物に訪れている人たちの中には既に床に入る人もいるが、わたしはこの夜の時間を大切にするべく、少しだけ明かりを落とす。

 「メールでも想いは伝えられますが、やっぱり手書きの手紙が粋じゃないですか?伝えたいことがたくさんある時ほど、言葉数少なく書くようにしています。大切なことが余計な文字で埋もれない様シンプルに。気合を入れすぎず、少しアンニュイなくらいがちょうどいいって思う時もありますね。手紙は断然、鉛筆派です。ペンで書くとやり直しがきかないので。ときどき消しゴムを持っていくのを忘れてしまうんですけどね(笑)」

 

 

 

おとなになっても

 かすかな音でも気づく。5感が鋭くなり、普段人の声が聞き辛いと思っていたのが、ただ聞く気がなかっただけということに気づく。そっと耳を澄ます。20歳を超えて大人の称号を得ても、いくつ歳をとろうとも、進むべき道は心がわくわくする方へ。山を歩くときは登る人を優先して、すれ違う人には挨拶をして、鎖場は一人ずつ、マナーのようなルールが、ガイドブックに紹介されていることもある。何が正しいか、何を守るべきなのか、道しるべはなくても人と自然を思いやればルールに縛られる必要はないのではないか。

 「沢登りって不思議ですよね。小学生のころ、水たまりにじゃぶじゃぶ入って泥だらけで家に帰った時にはすごく叱られたのに、全身びしょ濡れになろうが、どこからでも好みのルートを登ろうが怒られない。藪漕ぎなんかジャングルの中を探検するみたいですよね。いま近所の公園にあるジャングルジムにわたしが登って遊んでいたら変な目で見られかねないですが、山では違う!すべての遊びが肯定される、山の懐の深さに頭が上がりませんよ。」

 はしゃいで山にいくと「若いのに山かぁ、渋いねえ」と言われることはよくあるが、最近若い人が以前より山に登るようになったと聞く。自然は古来からよりずっとそこにあるが、それを取り巻く文化や環境は先人たちがつくってきたものだ。若者としてそれに乗っかるだけでは物足りない。山が教えてくれるものを今度はわたしたちが発信し、そして次の世代に引き継ぐには、多少なりとも従来「あり」だった文化に、時として立ち向かわないといけないこともあるかもしれない。まだ時が熟す前に、色づきがピークを迎えるその前に、わたしはみずみずしさを持って山を歩こう。そして再び秋に帰ってこよう。晩秋の東北の山でわたしはそんなことを考えていた。✐

                                             

 

 

さて、茅岳人目指してましたが、今回はChiyoteにしました。

ツッコミながら読んでもらえたら幸いです。

また秋に会いましょう。

次回はカメラマン募集します。

ちゃおあでぃおす!

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