2023/1/8 八ヶ岳 大同心雲稜ルート

山行報告
  • 参加者:久野、鈴木、平井
  • 天候: 微風快晴
  • 行程:0700赤岳鉱泉発-0830取付き-1450ドーム基部-1515大同心稜-1630赤岳鉱泉
  • 装備: キャメロット0.4〜2番、クイックドロー×17〜8、アブミ計4など

穂高屏風、一ノ倉衝立といった我が国を代表する岩場に「雲稜」の名を冠するルートが存ることはクライマーであれば知らぬ者はいないだろう。

数多のドラマを生み出してきた由緒正しき大岩壁のド真ん中に、時代を超越した先鋭性を持ってし、美しくも攻撃的なラインを率先して描いたのは、南博人氏。私が以前所属していた山岳会の偉大な先達である。そんな氏の軌跡は、八ヶ岳という冬季登攀の最もポピュラーなゲレンデにも刻まれている。とりわけ、巨大な大同心正面壁を麓から見上げれば、それが上記のような名だたる諸岩壁に決して見劣りせぬことは瞭然であろう。

さて、同心の字は主君の警護にあたる江戸幕府の下級武士が由来というが、この大同心は、その弁慶のような巨躯と風貌から、横岳という盟主を背に、その座を役不足だと言わんばかりに胡座をかいて構える傲慢な地蔵に見えるのは私だけだろうか。

閑話休題、この奇天烈な地蔵の喉元を穿つかのように引かれた大同心正面壁雲稜ルートは、やはりその名が誇る威厳に相応しい困難さと充実感を、我々に提供してくれた。

いつも通りコンビニでモーニングコーヒー(缶ビール)を啜る方、一名。鉱泉へのアプローチ中、葡萄ジュースで水分補給する方さらに一名。

本ルートの登攀は三日間の八ヶ岳冬季合宿の一環として中日に行われたものである。前夜は恒例の盛大な宴。茅ヶ崎山岳会は放蕩無頼の豪傑の集まりである。毎度のことながら、翌日に厳しい登攀を控えようが構わず飲んだくれる様は、実に痛快であった。

大同心稜の急登を1時間ほどのアルバイトで駆け上がる。黒々とした大同心の地肌を目にした際には、その季節感の乏しさにいささか辟易したが、氷雪の白い衣を纏った地蔵には、今の自分の実力では太刀打ちできなかったはずだと後に登攀を顧みれば、やはり幸運だったというべきか。

平井、久野さん、鈴木さんのオーダーで登る。1ピッチ目は平井リード。Ⅳ級/A1。出だしのクラックにキャメロット0.4番を決めて勇躍登り始めるが、コンクリートを脆くしたような岩質に、モノポイントでの際どい立ちこみを求められいきなり厳しい。

その切先に、研ぎ澄まされた意識を落とし込みながら少しずつ高度を上げていく。

核心のハング越えには慣れないアイゼンでの人工登攀に難儀し、随分と時間を浪費してしまった。いっそのことフリーで突っ込めば良かったとさえ思った。途中、RCCボルトなどの古い終了点があるが無視して右上し、ハンガーボルトの支点で確保。

2ピッチ目。Ⅳ級/A1。久野さんリード。出だしと中間にアブミが必要なセクションがある。あるいはここも卓越したアイゼン・アックスの技術があればフリーで登れるのかもしれない。

別チームの裏同心組がちょうど通り過ぎて歓声を送ってくれた。(ガッツリアブミ掴んでたねとか言われてちょっと恥ずかしかった笑)

リードは残置ピンを求めながら右往左往し、傾斜の強い草付きを人工混じりで突破した。露出感が強く感じられ、高所耐性の低い私にとってはフォローでも精神的に負荷のかかるピッチだった。

3ピッチ目。鈴木さんリード。右手のピナクルを目処に、草付きから凹角を辿る。リードは次のピッチをリンクしながら果敢に攻め、50メートルいっぱいにロープを伸ばす。1時間半にも及ぶ苦闘を見事に制してドーム基部に至った。

途中、やはりアブミが必要な悪場が散見される。

4ピッチ目。平井リード。ヘッドウォール基部を簡単なトラバース。無造作に突き出た礫が煩わしいが、煌びやかなボルトが随所に整備されており、安心。

15時前、大同心の肩に至る。今回は合宿の都合、赤岳鉱泉16時集合のデッドラインをあらかじめ設けてあった。

そして地蔵の頭には、賽の河原に立つ私に、もっと功徳を積んでから出直してこいと語りかけるかのごとくエビの尻尾がこびりついて有る。一筋縄では行かないであろうことを察知し、制約を鑑みて今回はヘッドウォールの登攀は行わなかった。

登路をたびたび振り返りつつ、鉱泉への帰路を急ぐ。登ってきたラインをなぞりながら余韻に浸るのは登山者にとって至福のひと時だ。

この八ヶ岳合宿は三日間とも晴天に恵まれたが、赤岳主稜の登攀を終えた最終日昼過ぎからは、次第に強まりゆく西風の影響か、あっという間に稜線上に暗雲が立ち込めていったのが印象的だった。

さて、冒頭の拙論をここで振り返る。南氏が雲稜ルートを拓くという金字塔に臨んだのは、自分と同じくらいの歳頃のことである。60余年前のかつての若者は、どのような想いでこれら大岩壁を見上げていたのだろうか。

きっと名声を得るとかいう大義よりも、未知への不安や恐怖を振り切り、高揚感を抑えきれずに、ただ登りたいという純粋で崇高な動機で挑んだに違いない。

そして万が一それを忘れてしまい、外発的で怠惰な挑戦を続けるようになってしまった暁には、それが冒険者としての引き際になるのかなとか、そんな陳腐な物思いに耽りながら、雲に包まれ行く八ヶ岳を後にしていました。

記: 平井

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